更新日:2022.03.18野毛山レッサーパンダヒストリー②~平成・前編~
野毛山レッサーパンダヒストリー②~平成・前編~
みなさんこんにちは。
前回の昭和編に引き続き、今回は平成時代を振り返ってみます。
1989年(平成元年)、上海動物園から新たに2頭が来園しました。来園日が9月1日=防災の日だったというところから2頭はボウボウとサイサイと名づけられました。
オスのボウボウ。私には前回紹介したケイに見えるのですが、アルバムにボウボウと記載がありました。この後出てくる写真のボウボウとは顔つきが違って見えるのです。この写真は来園当初でまだ緊張していたんでしょうかね?
メスのサイサイ。サイサイは"キツネ顔"と当時の友の会会報誌ZOOよこはまで紹介されていました。
この頃は、前回紹介したケイとミヤもまだ存命で、1989~96年までの8年間、野毛山には4頭のレッサーパンダが暮らしていました。すごい!!
この時代の写真はたくさん残っているのですが、見たことのない個体を写真で判別するのは難しく、顔の向きが違ったり、光の加減が異なると体の色合いも変わってしまい、なかなか特定に至れませんでした。
この写真は、おそらく手前がサイサイ、奥がボウボウ。
たぶん、ミヤ。眼光鋭い個体の写真が数枚あり、それらは"怒り顔のミヤ"(前回のブログ参照)だと思うことにしました。
たぶん、"ポーカーフェイスのケイ"。一番特徴がないという言い方は良くありませんが、いつも穏やかな顔つきです。
たぶん、ボウボウ。一番太っているという記録がありました。大柄な雰囲気がありますね。
たぶん、サイサイ。キツネ顔っぽい...ような。
そして、この4頭のうち、最初にケイが亡くなり、ミヤは1998年にズーラシアの開園に伴い引っ越しました。また、パネル展の年表には記載しませんでしたが、1998~99年にかけてズーラシア開園前の一時預かりとして、ミーミーとテンテンという2頭が数か月間野毛山で暮らしています。
1999年(平成11年)、次にやってきたのはモモタロウです。
モモタロウは、千葉市動物公園の風太君が有名になるずっと前から2本足で立ち、塀の外のお客さんを見渡す姿を見せており、また無麻酔での採血も可能な、まさに時代の先を行くレッサーパンダでした。先を行き過ぎていて話題にならなかったのでしょうかね...?
その後、2001年(平成13年)に再び上海動物園から1ペアやってきました。先にいたモモタロウに合わせた童話シリーズとして、「きんた」と「かぐや」と名づけられました。
...が、しかし、オスと思われて送られてきたきんたはメスだったのです!
絵画のように美しいきんた(上)とそっくりなかぐや(下)。
ここから先のお話はまた次回、平成・後編に続きます。
飼育展示係 永井