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伊藤博文と金沢別邸 豆知識シリーズNo.9 ~伊藤博文の英和辞書~の写真

更新日:2026.07.04伊藤博文と金沢別邸 豆知識シリーズNo.9 ~伊藤博文の英和辞書~

更新日:2026.07.04

伊藤博文と金沢別邸 豆知識シリーズNo.9 ~伊藤博文の英和辞書~

伊藤博文は、明治期の日本の指導者たちの中でも抜きんでて英語が堪能だった人物の一人です。
彼の卓越した語学力は、日本の近代化において非常に重要な役割を果たしました。

伊藤博文の英語力の礎は、若き日の経験にあります。
1863年(文久3年)、長州藩士だった22歳の伊藤は、井上馨らと共に、イギリスへの密航を企てます。
ロンドンに向かう途中、渡航の目的を聞かれた井上馨が、「海軍の技術(ネイビー)」を学びたい言うつもりを間違えて「船の操船技術(ナビゲーション)」と答えてしまったそうです。
この間違いのせいで、彼らは船賃を払っているにも関わらず、水夫として働かされてしまうことになったのでした。

その日から船旅そのものが最初の「英語漬け」の環境になりました。
ここで大いに活躍したのが、伊藤が肌身離さず持ち歩いていたとされる『英和対訳袖珍辞書』です。


♦幕末日本を変えた"袖珍(ポケット)辞書
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『英和対訳袖珍辞書』は、洋書調所の堀達之助が編集した日本最初の辞書で、
「袖珍(しゅうちん)」は袖に入る程度の小型のものという意味です。

それまでのオランダ語経由の蘭英辞書とは異なり、英語と日本語が直接対訳形式で記載されており、
実際の会話や学習に役立ちました。

伊藤は、この初版を持参したものとみられ、船員の言語に照らし合わせてその意味を会得することに努めたそうです。

無事イギリスにたどり着いた彼らは、ロンドン大学のユニバーシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)で学びました。
この留学生活で、彼は生きた英語と西洋の政治・経済・文化に触れ、急速に語学力を身につけていきました。

帰国後、明治政府の要職に就いた伊藤博文の英語力は、政府にとって大きな武器となりました。

近代国家建設のため、政府は欧米から多くの専門家(お雇い外国人)を雇い入れていましたが、
伊藤は彼らと通訳なしで直接議論できる数少ない高官でした。
法律や制度設計など、国の根幹に関わる重要な政策決定のスピードアップに貢献しました。

また、1871年からの岩倉使節団では副使として欧米を訪問。
他のメンバーが通訳を必要とする中、伊藤は流暢な英語で各国の要人と直接、複雑な交渉や議論を行いました。
ユーモアを交えた高度なコミュニケーション能力は、日本の指導者の知見を示すとともに、
国際的な信頼獲得に大きく役立ちました。



    旧伊藤博文金沢別邸(横浜市指定有形文化財)