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伊藤博文と金沢別邸 豆知識シリーズNo.10 ~金沢別邸を訪れた賓客~の写真

更新日:2026.08.02伊藤博文と金沢別邸 豆知識シリーズNo.10 ~金沢別邸を訪れた賓客~

更新日:2026.08.02

伊藤博文と金沢別邸 豆知識シリーズNo.10 ~金沢別邸を訪れた賓客~

伊藤博文が 現在の横浜市金沢区野島に構えた別邸は、景勝地として名高い「金沢八景」の一角に位置しています。
当時の記録には、皇室や皇族、華族といった賓客がこの地を訪れたことが記されており、建物からは その格式の高さがうかがえます。

✿金沢別邸への主な皇室・皇族 来訪歴 ✿

【 明治39年(1906年) 有栖川宮威仁(たけひと)親王 】
有栖川宮威仁親王は、明治期の皇族で 海軍軍人でもありました。
また、明治天皇の信任が篤く、皇太子(後の大正天皇)の教育係にも任命されました。

【 明治41年(1908年) 韓国皇太子 李垠(りぎん) 】
日本による韓国併合や植民地化といった、日韓関係が極めて困難な時期、伊藤博文は韓国統監の職にありました。
そうした中、韓国の皇太子が日本へ留学することが決定しました。
伊藤博文公はこれに随伴して日本に帰国し、李皇太子とともに金沢の地を訪れました。
当時の地元新聞「横浜貿易新報」に金沢別邸で一泊して過ごされた様子が記事にもなっています。

【大正5年(1916年) 大正天皇】
伊藤博文没後となりますが、大正天皇が行幸された記録があります。
大正天皇は幼少期から健康状態が優れず、晩年には政務への影響も見られましたが、大正5年当時はまだ活発に公務をこなされていた時期と考えられます。

【大正6年(1917年) 東宮(後の昭和天皇)・秩父宮(第二皇子)】
大正6年当時、後の昭和天皇(裕仁親王)は16歳で、皇太子として学業に励んでおられました。
秩父宮殿下とともに来訪された記録があります。 


金沢別邸の客間は、天井、床が他室より一段高く設えられております。
また、欄間には高貴の象徴たる鳳凰が彫刻されるなど、皇室・皇族方をお迎えする意図が随所に見て取れる造作となっております。

これは、金沢別邸が単に静養の場としてだけでなく、皇室との信頼関係の構築や維持といった重要な外交・儀礼的な役割も担っていたことを示唆しています。

賓客の方々が訪れた客間から見える野島の海を眺めながら、当時に思いを馳せてみてはいかがでしょう。

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    旧伊藤博文金沢別邸(横浜市指定有形文化財)