明治時代にはコレラがたびたび流行し、多くの人々が感染しました。特に明治12(1879)年には、感染者が16万人、死亡者が10万人を超える大流行となりました。
こうした感染症の流行を受け、明治政府は、港で船舶や乗客を検査・消毒する検疫制度を整備し、横浜と神戸の二港に消毒所を設置しました。横浜港の消毒所として、現在の横須賀市長浦に長浦消毒所が設けられ、その後、横須賀軍港拡張のため長浦消毒所を撤去することとなり、金沢区長浜へ移転しました。
旧長濱検疫所一号停留所の主な変遷
| 明治11(1878)年 | 長浦消毒所を設置(現横須賀市長浦) |
|---|---|
| 明治28(1895)年 | 長濱消毒所に移転(現金沢区長浜)、翌年「長濱検疫所」と改称 |
| 大正12 (1923)年 | 関東大震災により被災、倒壊等した施設を改築等する(〜大正13(1924)年) |
| 昭和22(1947)年 | 検疫所管制公布により厚生省所管となり、「横浜検疫所」に名称変更 |
| 昭和27(1952)年 | 横浜検疫所庁舎移転(中区海岸通)、旧庁舎は「長濱措置場」として存続 |
| 昭和61(1986)年 | 長濱措置場施設竣工、一号停留所は「検疫資料館」として存続 |
| 平成30 (2018)年 | 国登録有形文化財に登録 |
| 令和7(2025)年3月 | 国による移築復元工事が完了し、建物が横浜市へ寄付される |
| 令和8(2026)8月 | 海の公園で一般公開・活用開始 |
一号停留所の構成
旧長濱検疫所一号停留所は、上等船客者(当時の旅客運賃1等・2等の船客)等が検疫を受けるため、一定期間滞在する停留施設として建てられました。建物内には、海側に突出する談話室、食堂と8つの停留室(一室2人用)、トイレが併設されていました。海側に面する廊下は、サンルームとしても使われていました。

関東大震災後の一号停留所

和洋のレコードをたのしむなど、停留中の気持ちをほぐ す憩いの場となっていたようです。
専任の料理人が停留者に食事を提供していました。
長い廊下の様子です。植物が置かれているのがわかります。
【一号停留所外観】海の公園移設前の一号停留所外観(横浜市金沢区長浜)

野口英世の活躍
野口英世は、明治32(1899) 年に、横浜開港検疫所(旧長濱検疫所)の海港検疫医官補として採用され、半年程度勤務しました。この約半年間に、野口が検疫に従事した船舶の船員からペスト菌を検出したことで、一躍その名を知らしめることとなります。
現在、野口が従事した細菌検査室は、長浜野口記念公園内(横浜市金沢区長浜)に復元されて残っています。
旧細菌検査室の詳細は横浜市長浜ホールホームページをご覧ください。